
午後のニュースで裏千家 千玄室 大宗匠が亡くなったことを知った、享年102歳であられた。斉号は鵬雲斎。時折街中で偶然お見かけしたが、遠目にも存在感のある方だった。
物心ついて間もないころ、母のすすめで裏千家の先生の元へ稽古に通い始めた。「美味しいお菓子とお茶をいただける」とか言われて何となく付いていった記憶がある。先生は茶道の点前だけでなく、歴史、道具、花、歌のことなどあらゆることに造詣が深い方で、後に教える立場になった母にとっても長く尊敬する存在だった。
初めて子供弟子を迎えた先生は、大人用の道具ではなく、全て小さいサイズの袱紗や茶巾などを誂えてくれた。お菓子を楽しみに通って数年、ある時初めて叱られた。ずっと子供扱いで優しくされていた私は、ショックでバス停まで泣きながら歩いたのを覚えている。稽古は真剣でなければいけないことを、その時教わったのだと思う。
先生は、千家代々の斉号を覚えさせるために、月ごとに茶杓の作を何代「何々斉」と答えるように教えていたので、子供の私も分からないなりに鵬雲斎の名前だけは口にしていた。
それから30年ほど、最後の数年を通ったのは今日庵の優しい業躰先生の稽古場だったが、残念なことに社会、こと茶道の世界独特の小競り合いに辟易して、徐々に足が遠のいた。なんのための茶なのか、「君子の交わり淡きこと水のごとし」とは程遠いと感じるようになってしまった。
どんな道も、誰に出会い、どんな環境で学ぶかで、全く違ったものになると思っている。一生かけて学ぶ人が多い茶道だが、人との縁と同じく出会い、別れることも自然なことかもしれない。
「積み重ねてきたものは、誰にも奪えない」と、ある時工事に入っていた祇園の名旅館の大女将に言われたことがあるが、よくも悪くも積み重ねて染みついた経験は、ところどころで滲み出てしまうものだ。
以前、松花堂庭園にある茶室を借りて、数寄屋建築の同僚みなで後輩の結婚祝いに茶席を設けた。表千家の先輩など数人とともに、道具を持ち寄り、花を入れ、床を荘った。不慣れでもみな心を尽くした自分たちの茶事は、お歴々の集うどんな茶会より楽しかった。茶室を手がける大工、設計する者、日々支えてくれる人々だからこその楽しみ方ができた気がする。おこがましいことは承知で、ああいった時間、もてなしこそが茶心ではなかったか。
社会的地位などを排する場所、頭を下げて入らねばならない躙り口を設けた茶室なのだから。
いずれにしても、あんなにもお茶が美味しく、お菓子が美味しく、荘りに心を尽くし、名残惜しかった席は今後もないだろう。
それから数年後、在職最後の現場は、奇しくも今日庵の文化財修繕工事だった。咄々斎などを含めた部分の修繕で、通う度に貴重な時間だった。その間、一度だけ偶然鵬雲斎とお会いした。早朝だったが、現場を覗いて関係者を労っていかれた。柔らかな雰囲気で微笑んでおられたのがとても印象的だったこと、決して良くない気持ちで稽古を離れたのが最後だった私にとって、茶の湯の心が救われた朝だった。

