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vol.2 金継ぎとの縁

 今から二十年ほど前、はじめて美術館の外で、金継ぎ文化に触れた。

 その頃、京都の四条南側、八坂神社そばにある五花街の一つ祇園甲部のお茶屋さんで、建築工事を担当させていただいた。お茶屋さんとは、芸妓さんや舞妓さんを招き、長唄や小唄を聞きながら舞や粋な遊びを楽しんだりする場所で、その外観は格子窓やすだれの軒が連なり、石畳の通りには独特の風情があった。

 明治期、天皇が東京に移ったことで活気を失った京都を立て直そうと、祇園町などが「都をどり」を始めるなど、現在の京都を維持する一端を担った街。芸舞妓さんたちは、暑い日も寒い日も、舞や三味線、唄などの伝統芸能の鍛錬を日々欠かさずに過ごしているのを、間近で見聞きし、同年代で厳しい社会を懸命に生きている彼女たちから学ぶことも多かった。

 工事を終え、お茶屋のお母さんのお声がけで小唄と清元を習うことになり、結局10年ほど通いながら、伝統の中で扱う物、京料理の粋に触れる機会もいただき、良い陶磁器を目の当たりにした。
 ある時、お店で日常使っているうつわの仕入れ先を聞き、うつわ好きだった私は訪れてみた。清水にある「陶好堂」さんという、「和久傳」さんなどの料理屋さんにも卸しているお店だが、一般の小売もされているとても良心的なお店。

 その日「目が合った」うつわをいくつか買う際に、ご主人がいろいろと気さくに話をしてくださった。
 「少し欠けてるけど、いいうつわやからよかったら自分で金継ぎして使いはったらいい」
と、簡単そうに言いながら織部の小鉢をおまけで入れてくれた。
私が驚いていると、
 「料理人さんたちは、休みの日やらに自分で直してはりますわ、難しことないし、道具のセットなんかも今は通販で買えるから探してみて」
と言われた。
 「え、そんなに気軽にできること?」というくらいにうなずき、いただいて帰った。

 それから数年、欠けたままの小鉢は水屋で出番を待っていたのだが、ある日いくつか欠けた湯呑みや茶碗が溜まり、そろそろ直そかと思い立ち、夷川通にある「漆器岡村」さんを訪れた。漆職人が本職の合間に金継ぎをされると聞いていたからだ。
 「漆器岡村」さんは京都らしく歴史はあるがこじんまりとした上品な佇まいで、黒や弁柄、朱の漆器から、春慶塗のものなど、手に取りやすいお値段で素敵な漆器を扱っておられる。
 女将さんに相談すると、快く引き受けてくださり、一年弱経った頃に仕上がってきた。
 丁寧な包を開けると、時間をかけとても丁寧に直されていて、欠ける前の姿とはまた違った趣が加わって、以前にもまして愛着が湧くような気がした。

 あれから年月を経て、現在は漆を扱い、不勉強ながらもうつわを修復する者の一人になった。いくつもの出会いやご縁の繋がりで、今があると感じている。
 日々学び、修練を重ねていきたい。